韓国文化を説明する時、「恨(한・han)」という言葉がよく登場します。
でも私は、これを「韓国人だけが持つ深い悲しみ」のように神秘化する説明があまり好きではありません。
一つの英単語や日本語に固定してしまうと、かえって分かりにくくなります。
一つの感情ではない
私が「한」を考える時、そこには喪失、悔しさ、恋しさ、未練、やり残した感じなどが重なっています。
だから「悲しみ」とだけ訳しても足りません。
長く残るとは限らない
「한は長く残る感情」と説明されることがありますが、私はそれも絶対ではないと思います。
簡単に解けることもあります。逆に長く残ることもあります。
人を座り込ませることもあれば、頑張る力、成功したい気持ち、時には「いつか見返してやる」という力になることもあります。
韓国の歴史は重さを加えた。でも原因を一つにしてはいけない
韓国には外からの侵略、戦争、植民地支配、分断、貧困、家族の離散など多くの歴史的経験があります。
そうした歴史が「한」という言葉に文化的な重さを加えたのは確かです。
でも「韓国は苦しい歴史だったからhanが生まれた」と単純化するのは違います。他の国にも苦しみはあり、hanを韓国人の被害者意識としてだけ説明するのも違うと思います。
アリランにはhanも、heungも感じられる
韓国の民謡アリランを聞くと、悲しさだけでなく、人が一緒に歌い、リズムに乗る力もあります。
ただし、hanとheung(흥)は同じ感情ではありません。
一つの歌の中に、別の感情が一緒に存在できるということです。
私にとって大事な質問
hanを「韓国人の悲しみ」と覚えるより、私はこう考えるほうが近いと思います。
なぜ、この感情はまだ終わっていないのか。
その問いの中に、悔しさも、恋しさも、執着も、前へ進もうとする力も入っています。

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